車いすユーザーの母、ダウン症で知的障害のある弟、ベンチャー起業家で急逝した父。特殊な家庭環境で育った経験や、自分の身の周りで起きるあれこれを面白おかしく書き起こしたnoteで人気に火がついた作家が、岸田奈美さんです。

岸田さんは以前、バリアフリーな社会を実現するため、ユニバーサルデザインの提案をする株式会社ミライロで広報を担当。自身が作成した企画書をもって『ガイアの夜明け』に取り上げてもらうなど、クリエイティブ方面で才能の片鱗を見せていた一方、集団の中で足並みを揃えて行動できない自分に悩んでいた時期もあるそうです。

そんな岸田さんの転機となったのが、ダウン症の弟に関して綴った1本のnote記事でした。ユーモアとシリアスを往復する抜群のバランス感覚で読者の心を掴み、現在はコルクに所属しながら講談社の小説現代や、文藝春秋など、名だたるメディアでの執筆へと活動の場を広げています。

「当たり前のことができない」というコンプレックスを乗り越え、現在人気作家として活躍する岸田さんは、どのようにご自身の活路を見出したのでしょうか。今年9月に上梓した『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』をもとに、赤裸々に語っていただきました。

 

【岸田奈美】作家

1991年生まれ。兵庫県神戸市出身、関西学院大学人間福祉学部卒。車いすユーザーの母、ダウン症の弟、亡くなった父の話など、自分の人生を作品にする28歳の作家。コルク所属。

在学中より、ユニバーサルデザインを手がける株式会社ミライロに起業メンバーとして参画。2013年からは広報部長を務め、2018年には自社を『ガイアの夜明け』に取り上げてもらう。

2019年、体調不良をきっかけに出したnoteが驚異の130万PV。2020年に作家として独立、コルクに所属しながら現在は講談社の小説現代、文藝春秋2020年1月号巻頭随筆執筆など、執筆活動の場を広げている。キャッチコピーは「100文字で済むことを2000文字で伝える」。

 

ダウン症の弟と、逝去した父と、車椅子ユーザーになった母。

西村:まずは、岸田さんを語る上で欠かせない「特殊な家族構成」も含め、ご経歴をお聞かせください。

岸田:家族に関する説明は複雑すぎてどうしても長くなってしまいますが、ご容赦ください(笑)。ざっくりと説明すると、中学2年生のときに父が亡くなり、高校1年生のときに母が車椅子生活に。弟は生まれつきダウン症を持っています。

父は建築系のベンチャー企業を経営しており、仕事が大好きな人でした。しかし、仕事に没頭しすぎた結果、過労が原因で心筋梗塞を起こし、2週間意識不明の状態でそのまま亡くなってしまったんです。私は自分の仕事に誇りを持っている父を心から尊敬しており、憧れていたのに、悲しいことに最後は喧嘩別れでした。泣いて泣いて泣いたけど、悔みきれない気持ちを抱えていたのが私の中学時代です。

そうして私と母と弟、3人の生活が始まったのですが、高校生になった頃、母も過労で倒れてしまいます。女手一つで2人の子供を育てるため、朝は家事、昼と夜はバイトを梯子する生活が続いたからです。どんなに仕事が忙しくても、毎朝当たり前のように私と弟のお弁当が用意されていて。母が明るく優しい笑顔を必死で保っていたことに、当時の私は気づくことができませんでした。

救急車で運ばれ、ひとまず一命をとりとめた母には、二つの選択肢がありました。死亡率8割といわれている手術を受けて延命を図るか、否か。父の亡き後だったので、選択権は長女の私にあります。多くの人は手術を受けることを選択するのかもしれませんが、そのとき私の頭をよぎったのは、喧嘩別れをして言葉を交わせないまま先立ってしまった父のことでした。「たとえ数日後に亡くなるとしても、今目の前の母に話しかけることができて、最後に家族で穏やかな時間を過ごせるなら、その方が幸せなのではないか」と思ったんです。

最終的には手術を受けることを選択して一命をとりとめたのですが、後遺症で歩けなくなってしまいました。その結果、母が死を考えるほどに思い詰めてしまい「私が母を追い詰めたんだ」という自責の念に駆られて過ごしていたのが、高校時代です。

 

母からの「歩けないなら死んだ方がマシだった」という言葉

岸田:高校卒業後は、関西学院大学の人間福祉学部に進学しました。特殊な家庭環境に影響を受け、福祉と経営を一緒に学びたいと考えたからです。

なんとか合格した大学では、希望していた通り福祉と経営の専門知識を深めていくのですが、当時の私は「こんなことをしている場合じゃない」とモヤモヤした気持ちを抱えていました。母が貯めてくれたバイト代と父の遺した保険金、限度額まで借りた奨学金を合わせて満身創痍で通っているのにも関わらず、授業を受けて友人と遊んで帰宅するだけの毎日。ちょうど母から「歩けないくらいなら死んだ方がマシだった」と打ち明けられた頃でもあったので、「このまま4年後の就職活動を待っていたら、母が死んでしまう」と焦っていたんです。

いても立ってもいられなくなり、他の大学の講義や特別講義にも参加するようになったある日、関西学院大学の特別講義に、車椅子に乗った男性と、その友人がやってきました。後のミライロ代表の垣内と、副代表の民野です。そのとき、車椅子に乗った垣内が「僕は生まれつき骨が脆くて弱い。そんな僕だからこそ伝えられないことがあるはずだから、富野と起業しようと思っている」と話しているのを聞き、ピンと来ました。それまでさまざまなワークショップやインターンに参加してもいまいち満たされなかった私が、「この人たちとなら何か一緒にできるかもしれない」と思ったんです。

そこで、私は垣内に「ビジネスの知識はないけれど、デザインなら少しできます」と言って、創業メンバーとして採用してもらいました。今振り返るとデザインの知識なんて無いに等しかったのに、19歳の私は怖いもの知らずだったなと思います。だけどそのおかげで、新たな扉を叩くことに成功しました。

 

「普通じゃないこと」はできるのに

岸田:ミライロに立ち上げメンバーとして入った私は、結局営業の仕事から始めることになりました。しかし、時間を守るなど基本的なことができず、社会人としての素質が備わっていないことを自覚し始めます。

元々時間を守るのが苦手なタイプではありましたが、不思議なことに「出勤のために乗っている電車と犬が並走する」だとか「目の前でお婆さんが転ぶ」といった、漫画のようなハプニングが頻発して。あまりにも作り話のようなハプニングなので、途中からは証拠写真も撮り始めていたくらいです。ただ、お客様や職場の人からすれば、理由の如何は関係なく、遅刻は遅刻。しばらくすると、信用関係の構築が要となる営業の仕事から下ろされてしまいました。そこで次に任されたのが、広報の仕事です。

広報を任された私は、正しい言葉遣いと文法の勉強から始め、次第にプレスリリースやスピーチ原稿の作成を覚えていきました。こちらは比較的適性があったのか、3年後には広報部長に任命されました。

2018年には、私が作成した企画書が通り、『ガイアの夜明け』に取り上げてもらうことにも成功します。当時は、社長の垣内から『ガイアの夜明け』に出たいと言われ、江口洋介さんが夢の中に出てくるまで夜な夜な『ガイアの夜明け』を観て研究をしていました(笑)。

 

「書くこと」が知らない景色を見せてくれた

岸田:……なんてエピソードをお話しすると、広報として順調にキャリアを積んでいたように聞こえるかもしれません。しかし、その翌年の2019年には、心身共に調子を崩してしまいます。大学時代からそれまで一気に突っ走りすぎたというのもありますが、会社の規模が大きくなりすぎて、私の苦手な「チームプレイ」が必要になる場面が増えてきたんです。たとえ広報として成果を出していようとも、社会のルールを守っていなければ評価されないのがビジネスの世界です。自己肯定感がどんどん低下していきました。

ついに限界に達した私は、2ヶ月の休養をとることにします。このとき、弟が私をさまざまな場所に連れて行ってくれたり、助けてくれたりしたことを周囲に自慢するため、noteを書き始めたのが2019年です。

結果的にこの記事がバズり、130万人の方にお読みいただいたわけですが、当時はまだ文筆業で生計を立てていこうとは考えていませんでした。ただ「文章は本来なら会えないような人との出会いをくれるんだ」というトキメキを与えてくれたことは確かです。

具体的には、前澤友作さんが「この話、好きです」とコメントしてくださっていたのでこちらから連絡をしたところ、前澤さんにまつわる小説を執筆させていただけることになったり。糸井重里さんからは「この文章、気持ち良くなっちゃうよ」と、本の帯にでも使えそうなコメントをいただき、現在は憧れだった『ほぼ日刊イトイ新聞』にて、父に関するエッセイを執筆させていただいています。

 

会いたい人に「熱意」と「速度」を伝えるオタク気質

岸田:このとき、前澤さんや糸井さんにお会いできた理由の一つは、私の「オタク気質」だと思っています。私は現在「100文字で済むことを2000文字で伝える」というキャッチコピーで活動しておりまして、これは好きなものを相手に伝えるために大袈裟な言い回しをする、オタク特有の癖なんです。

2つ目は、昔からタイピング速度が物理的に速かったので、長い文章もすぐに打てること。相手からすると「さっきTwitterで反応した相手から、すぐに超長文のメールが届いた」となるわけです。すごく怖がられるか笑ってもらえるかのどちらかだと思うのですが、幸いお二方とも笑ってくださいました。

あとは、私は元々周囲に才能を見出してもらうタイプなんです。書籍の表紙がその一例。私はイラストを描いたことはなかったのですが、祖父江さんというイラストレーターの方に「岸田さんは描けるよ」と言っていただいて。2ヶ月間一緒に特訓をした結果、このイラストが描けるまでになりました。

そういえば、私が現在所属しているコルクから出ている漫画『宇宙兄弟』に、このような言葉があります。

「2人以上が 同じことを褒めてくれたなら――それは間違いなくお前の真実だ。信じていいんだ」

私は自分自身を信用していませんが、私のことを褒めてくださる方たちのことは信用しています。自分が評価されたことに対して「私にはできない」「それは違う」と思うのではなく、まずは挑戦してみたからこそ、チャンスを掴めたのだと思います。

 

岸田奈美は、自分の人生を読者とともに編集する作家

岸田:現在は、文章を書くだけでなく、企画のお仕事も行っています。昔から自分が好きなものを周囲に広め、そこからコミュニケーションが始まる「愛のお裾分け」が好きなので、そんな価値観に基づくイベントを開催しています。最近だと「キナリ杯」というコンテストを開催し、4200件の応募作品を3日間で審査しました。11月22日、23日には参加者で同じ本を読み、一緒に読書感想文を書くイベント「キナリ読書フェス」を行います。

イベントを企画する際は「原体験に基づいて衝動的に行う」をモットーにしており、今回の読書感想文も最近起こった嬉しい出来事に基づいています。というのも、数ヶ月前に村上春樹さんの本を読んだ感想をnoteで6000字程度で綴ったところ、後日自宅にご本人の直筆サインが入ったポストカードが届いたんです。作者にとっても感想が届くのは嬉しいことですし「誰かの感想文を読んだ人が同じ本を読み、お互いに感想を語り合えるって素敵だな」と思い、開催を決めました。

きっと、基本的に私は、自分の文章を読んだ人とインテラクティブなコミュニケーションを取りたいのだと思います。読んで終わりではなく、「どのような気持ちに変わったか」「どんな疑問が湧いたのか」を知りたいんです。肩書きは「作家」ですが、ただ文章を出すだけではなく、読者のみなさんから「ここが面白い」「この部分をもっと書いて欲しい」と言ってもらえる形が理想。私の人生を作品として出し、私の人生を読者のみなさんと編集していけたらと思います。

 

岸田流、チャンスとご縁を引き寄せる環境づくり

基調講演として岸田さんにご経歴をお話しいただいた後は、トークセッションに移ります。

西村:お話を聞いていて、岸田さんの周りでは、良いことも悪いことも含め、珍しい「ハプニング」が起こっている印象があります。他の人がなかなか巡り合えない運やご縁を引き寄せるため、何か心がけていることはあるのでしょうか。

岸田:私は運の良し悪しは人間みな同じだと考えているので、巡ってきたチャンスを逃さないだけだと思っています。おそらく、周囲からの視線に敏感なんです。父がおらず、母は車椅子に乗っていて、弟に関しても一目でダウン症だとわかるので、今まで何かと周囲からの視線を感じることが多かった。その結果、人の感情、心の動きに気づきに敏感になり、普通の人だったら見過ごしてしまうことも拾えるようになったのかもしれません。

貴重なご縁を引き寄せられるのは、困ったときに周囲に助けを求めるからだと思います。たとえば、大学に入ってからは勉強のことは勿論、自分の家庭の事情についても、複数の教授に相談していました。そのときおすすめされた講座で垣内と出会うことができたので、今でも上手に人に頼ることは大切だと思っています。

 

自分の才能は他人に発掘してもらう

西村:過去に、ご自身の強みは「速さ」と「熱意」だとお答えしていたインタビューを拝見したことがあります。今日お話しいただいたエピソードの端々からもそれが伝わってきたのですが、ご自身の長所について、いつ、どのような形で自覚し始めたのでしょうか。

岸田:ここ1年くらいですね。「強み」を「才能」として捉えると、3つの観点で見極められると思っています。1つ目は自分が好きで夢中になれるかどうか、2つ目は人から評価されているかどうか、3つ目は同じスキルを持っている人がいない場所を見つけられるかどうか。

1つ目は、シンプルに自分が好きだと思えるものに出会えるまでさまざまなことに挑戦してみればいいと思います。

2つ目に関しては、自分の「得意なこと」は、自分1人では絶対に見つけられないと思っています。ライターを例に挙げると、どのようなジャンルの文章を書いたときに人から褒められたかを思い浮かべるんです。それでも分からない場合、居酒屋での雑談とプレゼンなど公式な場での発表、どちらを褒められることが多いかで、才能の道筋が見えてくるわけです。

西村:逆に言えば、自分の得意なものが分からない人は、褒められる場所にいないか、その一面を出す機会が少ないのかもしれませんね。

岸田:そうなんです。だから、まずは人前にモノを出して、評価をもらう機会を設けた方がいいと思います。ちなみに私に関して言えば、同じスキルを持っている人がいない場所を見つけられたことが大きい。文章力に企画や広報のスキルを掛け合わせたことと、自分の日記を書くためにここまでの熱量をかけている人がいなかったから、評価していただけたのだと思っています。もし、文才だけのストレート勝負をしていたら、今の私はここにいないはず。何か足りないものがあると感じている人は、そこに何を掛け合わせたら評価されるかを考えるといいと思います。

トークセッションでは、このほかにも「絶望とのつきあい方」、「ユーモアとシリアスの間」「父が遺してくれたもの」といった、岸田さんならではのテーマでお話しいただきました。イベント全編は朝渋にて公開中です!

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